JASS てくてくハイク 2012−3−25 大津京〜山科

大津京から山科へ、琵琶湖疏水を追って。
コース
 大津京9:30スタート→三井寺→長等神社→小関越え→普門寺→琵琶湖疏水→四の宮→天智天皇山科陵→元慶寺→山科駅14:20解散
 距離 11km
 参加者数 29名

動画 疏水を歩く⇒⇒⇒
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上記地図天智天皇陵近くB辺り 上記地図A藤尾橋より 上記地図@辺り















戻る大津絵11

大津市役所前の南北の大通り沿いには大津絵が並ぶ。










戻る大津市役所(地図

大津市役所の裏には、壬申の乱で第40代天武天皇に敗れた
第39代弘文天皇陵(天智天皇の第一皇子、大友皇子)
がひっそりとたたずむ。










戻る三井寺(地図

長等山 園城寺⇒⇒⇒
(西国三十三所霊場 十四番札所 三井寺)










戻る取水口14

琵琶湖三保ケ崎から取り入れた水は、この疏水を通り、第1トンネルの入り口に差し掛かる。











戻る長等神社(地図

楼門  
祭神 須佐之男大神 大山咋神
拝殿












戻る小関越え道標16

この道標が立つのは、小関越えから園城寺(三井寺)
へ向かう道の分岐点にある。
江戸時代中ごろの建立で、高さは約95cmある。
小関越えの由来
小関越えは、北国町通りから小関峠を越え、横木一丁目
の旧東海道までのおよそ4kmの道のりである。古くから
京都と北国を結ぶ間道として利用されてきた。名称は東海
道の逢坂越えを大関とよぶのに対して小関とよばれていた。











戻る第一竪坑17

 琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた
京都復興を目指して、明治18年に建設を始め、明治23年に第一
疏水が完成しまた。
 疏水工事のなかで、最も難しかったのは、長等山を貫く第一トンネ
ルで、トンネルの出入り口(琵琶湖の三保ケ崎、出口の藤尾)と竪坑か
ら掘り進められました。
 竪坑とは、地表から垂直に堀り下げた坑道です。
竪坑からの大量の水が湧き出し、工事は難航を極めましたが、トン
ネルは明治22年に開通しました。
 ほとんど人力だけで掘られた全長2,436mの第一トンネルは、
当時日本で一番長いトンネルとなりました。
















戻る普門寺(地図

浄土真宗 本願寺派












戻る第1トンネル出口19

文字:廓其有容(かくとしてそれいるることあり) 
揮毫者:山縣有朋
意味:疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている
長さ2436mもある第1トンネルの出口(西側)。
建設当初3つのトンネル(第1、第2、第3)があり、各出入口には明治
の元勲が文字を書いた扁額が掲げられています。

第1トンネル 上記
諸羽トンネル 昭和45年に造られた。安朱橋の手前(琵琶湖側)にある。
第2トンネル 天智天皇陵より京都側
第3トンネル      〃     〃














戻る四の宮船溜20
















戻る安朱橋21


















戻る天智天皇山科陵(地図

第38代 天智天皇⇒⇒⇒ 天皇陵近くの疏水






















戻る元慶寺23

華頂山 元慶寺(かちょうざん がんけいじ) 別称 花山寺
 西国三十三所霊場番外札所 
 本尊 薬師如来
 天台宗
16弁菊の御紋も押印された朱印


































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